かみさま  このひとにはなんのつみもないんです



このひとは すくわれるときがくるのでしょうか





『閉所暗所恐怖症』





ハンガー二階左側にカチャカチャと整備の音が響く。
ハンガー二回左側には森一人だけで他に誰もいない。夜遅いので無理もないが。
さっきまで森の義弟である茜大介が居座っていたが、先程帰った。
森はハンガー二階左側で二番機の整備をしながら考え事をしていた。
考え事というのは、自分の大切な人である......滝川陽平の事。



先週森は、プレハブの屋上で滝川に想いを打ち明けられた。

「......どうしたの?いきなりこんな所に連れてきて......」
「も、森......あの......ええと......ごにょごにょ......」
その時の滝川は、明らかに変だった。
熱があるのか顔が真っ赤で、胸元をしきりに緩めたり閉めたりしている。
一度何かを決意するように空を見上げ......顔を戻して深呼吸すると、滝川は森をきっと見つめた。


「......お、俺、しょしょ、正直に言います!俺......あ、あなたが、その......す、すす、好きです!!」


「......え?」
森は一瞬自分が何を言われたのか分からなかった。
(......え!?滝川君が、うちを、うちの事を好きって、ちょ、え、ええええええぇ!!!!)
いきなりの滝川からの告白に、頭の中がパニックになる。
「た、滝川君......え、あ、その、あの......」
照れと驚きでうまく返事を声に出せずにいると、滝川が不安げな声を出した。
「......やっぱ、ダメなんか?そっか......そーだよな......」
「!!」
心外なことを言われ、慌ててブンブン首を振って否定する。
「!!ち、違う!違います!!ちょっと......ビックリして......嬉しくて......」
「......え?じゃあ......」

「......いいですよ、うちもその......滝川君の事、その......す、すす、好きやけん......」

「......ほ、本当に?」
「うん」
今度ははっきりと、大きな声で肯定する。
「う、嘘じゃないよな?」
「うん......しつこいですよ」
「あ......わ、悪ぃ......」
森自身、自分のぞんざいな態度を責めもせず親身に接してくれた滝川に惹かれていた。
「あ、う......」
滝川は森の意志を確認し、赤面したまま硬直した。
「も、森、その......あの......お、俺......う、うれ、嬉し......」
やがて、硬直した滝川の顔が森の大好きないつもの笑顔に変わっていく。
グッと拳を握りしめる滝川。

「ぃやったああああ!!!」

「た、滝川君......?」
滝川の喜びっぷりに呆然とする森。
滝川ははしゃぎすぎたと思ったのか、森に詫びた。
「あ、ご、ごめん......その、俺......きっと断られると思ってて......」
「そ、そんなこと!」
「......え?」
「う、うちも、その、滝川君のこと好きだったから......ううん、好きだから......」
森の自分に対する気持ちを聞き、赤面して硬直する滝川。
「あ、その、森......お、俺......どうしよう......嬉しすぎて......」
みるみる滝川の顔が緩んでいく。
「も、森......その......」
「うん......これからよろしくね、滝川君......じゃなくて......その、陽平って呼んだ方がいいかな」
「う、うん!!そ、それじゃあその、こ、これからよろしく......せ、せせ、精華......」
「......」
「......」
結局それ以上は、何も言えなかった。



あれ以来、二人は時間を見つけてはなるべく一緒にいるようにしている。
でも、滝川は......明るく振る舞っていても、ぎこちないような...無理をしているような感じがある。

でも、それは仕方のない事。

滝川は......閉所暗所恐怖症というハンデを抱えて日々を生きている。
以前、滝川が自分に話してくれたのだ。
そのことを言うのでさえも辛いはずなのに、話してくれた。
でも......何故そうなってしまったはまだ知らない。いつか話すとは言ってくれたけれど。
「そろそろ......終わりにしよっと」
森は工具箱をその場に置き、ハンガー二階右側に向かった。




「おえっぷ......あー......やっと終わった......」
滝川はへろへろになりながら二番機のコクピットから這い出た。
ハンガーの床にぺたりと座り込む滝川。冷たい床の感触が心地いい。
慣れてきたとはいえ、やはり長い時間コクピットに籠るのはこたえる。
......コクピットの狭く暗い空間は、どうしても過去の記憶を思い出させる。
胃がムカムカする。
頭がガンガンする。
「あ......そういえばそろそろ精華が来るかな......」
滝川は頬をパンパンと叩き、気持ちを切り替えた。
カンカンと乾いた足音がハンガー二階右側に響く。

「陽平、お待たせ」

森精華がハンガー二階右側に入ってきて、こっちに近付いてきた。鼓動が早くなっていく。
「あ、えと......精華、仕事終わったの?」
「はい、さっき終わりました。陽平......顔真っ青ですよ?」
滝川の目の前にしゃがみ、滝川の顔を覗き込む。
森に心配され、ぽりぽりと頭を掻いて弱々しく笑う滝川。
「ああ、その......さっきまでコクピットに籠ってたから......」
「そうですか......」
「まだちょっとコクピットの中が怖くて......さ。でも、慣れてはきてるんだ......多分......」
「そう......」
滝川の無理に作った笑顔が森の胸を締め付ける。

こんな状態の時でさえ、滝川は無理をして明るく振る舞う。
無理しないで欲しいのに。

「ゴメンな、心配かけちまって......でもさ、もう平気だから」
「......嘘ばっかり」
「.......へへ、大丈夫だって......もう......大丈夫......」
滝川の手は、かたかたと震えている。

陽平を、支えなきゃ。
うちは陽平の痛みを知ってあげる事は出来ないかもしれないけど、それでも......

ごくりと唾を飲み込み、滝川の右手にそっと自分の両手を伸ばす。


森は滝川の右手に自分の両手を伸ばし、包み込むように滝川の右手を握りしめた。


少し目を丸くして森を見つめる滝川。
「せ、精華......?」
「......」
何も言えなかった。ただ、ずっと滝川の手を握りしめた。
滝川の驚きの表情が、安堵の表情に変わっていく。
「......あったけ......」
心が落ち着く。手の震えが少しずつ収まっていく。
改めて思う。やっぱり、俺は精華が好きだ。
だから......絶対に精華を......守ろう。傷つけたりするもんか。

「......もう、大丈夫?」
「......うん」
森はそっと手を離した。少し、滝川の手のぬくもりが名残惜しかった。
「あの......その......ありがとう、精華......」
「う、ううん......」
「......あー、それからさあ、その......精華、顔にオイル付いてるぜ」
「え!?うそ!」
森は慌てて小さな鏡を取り出した。
鏡に映った森の左の頬に、巨大なホクロよろしくぽつりとオイル汚れができていた。
オイル汚れをその目で確認し、みるみるうちに真っ赤になっていく森。
「な、なして言ってくれんかったと!」
森は顔を火照らせながら慌てている。かわいいなあ。
「いや〜、ちょっと言うタイミング逃して......」
滝川はへらへら笑いながら頬をぽりぽりと掻いた。
「ちょ、ちょっとトイレ行ってきます!!」
森は慌てて立ち上がり、バタバタとハンガーから出ていった。




慌てて女子校のトイレに駆け込みんで、顔を、特に左の頬を念入りに洗う。
「ぷはー......」
家から持ってきた青いタオルで顔を拭き、トイレの鏡をじっと見つめる。
「落ちてる......良かった......」
森は安堵のため息をつき、自分の左の頬に触れた。
そして滝川の右手の感触と暖かさを思い出し、一人赤くなる。

自分よりも少し大きくてあちこち傷だらけで......とてもあったかい手のひら。

「な、何考えてんのうちったら......も、もう戻らなきゃ」
森は頭を振って気持ちを切り替え、女子トイレを後にした。



女子高の廊下を駆け抜け、校舎はずれに出る。
「涼しい......」
何となくぼんやりと夜空を見上げる森。


しばらく経った時、ブブッと校舎はずれに変な音が響いた。
「な、何!?」
その直後に、女子校とプレハブの灯りが消えた。


「て、停電!?ど、どうしよ......あ、そうだ、確か......」
懐から小さな白いペンライトを取り出す。持っててよかった。
「......あ!!そうだ!!陽平!!!」
滝川の心の病気の事を思い出し、血相を変える森。
森はペンライトを片手にハンガーへと急いだ。





「精華、まだかな〜」
ハンガーの壁にもたれながらのんびりと森を待つ。
「......あったかかったなあ......」
先程の森の手のひらの感触を思い出す。

細かい傷がいっぱいあるけど、あったかくて、やわらかくて......

「......えへへぇ」
本田あたりに見られたらそのままぶん殴られそうなくらいデレデレな顔の滝川。
「......何か遅いな......迎えに行こうかな......女子トイレには入れねえけど」


滝川がそこまで言ったその時、ブツッと変な音がハンガーに響いた。
「な、何だ!?」
その直後に、ハンガーが暗闇に包まれる。外と違って月明かりも何もない。
真の暗闇が、ハンガーに訪れた。


「う......て、停電......?」
無理もないが、森以上に動揺する滝川。

光のない、本当の真っ暗闇。
嫌でも過去の......暗くて、じめじめしてて、嫌なにおいのする押し入れの中を思い出す。

ドクン。ドクン。

「......落ち着け.......落ち着け......」
ぎゅっと拳を握りしめる。自分の心臓の音がやけに大きく響く。
「う、うう......落ち着け......ここは......あの押し入れじゃないんだ......落ち着け.......」
冷や汗がたらりと首筋をつたう。何だか、息がしにくい。
過去の呪縛が、滝川を襲う。
目の前の暗闇と、過去の押し入れの暗闇が重なる。

ジメジメしたかびくさいにおい。ひょろついた自分の手足。

真っ暗闇の中で、滝川の歯がカチカチと音をたてる。

「あ、う、やだよ......いやだよ......こわいよぅ......」

滝川がその場にうずくまった時、カンカンと森の足音がハンガーに響いた。

「陽平!!どこ!?」

森精華の声がハンガーに響いた。
しかし、今の滝川の耳には、その森の声が......自分の母親の声に聞こえた。
ビクッと身体を震わせる滝川。

どうしよう。どうしよう。また、なぐられる。

森が、こっちに向かって走ってくる。その足音さえも、自分の母親の足音に聞こえる。

かあちゃんが、かあちゃんが近付いてくる。どうしよう。怖い、怖い。



「陽平......」
森はペンライトで滝川を照らした。暗闇の中でぼんやりとしか見えなかった滝川の様子が露になる。
「う、うう......怖いよ......怖いよぅ......もう、押し入れの中は......嫌だよ......」
滝川はその場にうずくまり、がたがたと震えている。
(......?押し入れ......何の事だろ?.......って、ああ、そうか......)
何故か、その滝川の言葉で全てが分かった。

(そうか......分かった。陽平、分かったよ......恐怖症になっても、無理もないよね......)
滝川に優しく声をかける森。
「陽平......陽平、もう大丈夫だよ」
しかし......その森の自分を気遣う声が、滝川にはもっと別の言葉に聞こえた。



「陽平......陽平、お前なんか......消えてしまえ」



「うわああああっ!!!!」



滝川は恐怖に駆られ、近付いてきた自分の母親の幻影を.......森を思いっきり殴り飛ばした。



バキッと、ハンガーに鈍く大きな音が響く。
「あうっ!!!ぐっ!!!」
母親の幻影は......森は、滝川に思いっきり殴られてその衝撃で床に叩き付けられた。
森の持っていたペンライトがカランと音を立てて床に落ちる。
その衝撃でペンライトの光が消え、再びハンガーに真っ暗闇が訪れた。
「......う......」
叩き付けられた拍子に頭を強く打ったせいか、目の前が歪む。
目の前の滝川の姿が、ぼやけていく。
「よう......へい......」
森は少し身じろぎした後、意識を手放した。
「はぁはぁ......う、うう......」
滝川は荒い息をした後地面にうずくまり、顔をひざの中に埋めた。


ほんの少し、時間が経つ。10秒だったか、10分だったかもしれない。


ハンガーに再びブブッと変な音が響き、まばゆい光が戻る。
「......う......?あれ?」
目の前の暗闇が散らされた事で、滝川の精神状態が少しずつ正常に戻っていく。
目の前が、押し入れの中からハンガーへと変わっていく。
目の前が、クリアーになっていく。
「うう......俺......どうしちゃったんだ?」
頭がぼんやりしてさっきまでの記憶がはっきりしない。
「......痛てて」
何でか知らないけど右の拳がズキズキする。
だんだん、さっきの記憶が戻っていく。


(そうだ。いきなり真っ暗になって、かあちゃんがこっちに来て......)


「!!!」
ハッとして目の前をばっと見る。



森がハンガーの床にぐったりと倒れていた。



「せ、精華......精華!!精華ぁ!!!」
滝川は血相を変えて森の傍に走った。
森は、仰向けに倒れていた。左の頬に誰かに殴られたような痕がある。
その痕は真新しく、痛々しい。
滝川は背筋がゾクリと凍り付くような感覚に襲われた。
(まさか......まさか......)


思いっきり殴り飛ばした母親。森の左頬の殴られたような痕。痛む右の拳。


(まさか......そんな......俺......俺が......)
頭の中で必死にその可能性を否定するが、それしか森の殴られた痕の原因は思いつかない。
真っ青になりながら森の上半身を抱え、森の名前を何度も何度も呼ぶ。
「精華......精華......!!」
何度も名前を呼ばれ、森の瞼がぴくりと動いた。




「う、うう......陽平......?」
目の前がぼやける。輪郭がはっきりしない。
しかし、時が経つにつれて輪郭がはっきりとしていく。
「!!痛たた......」
左の頬が焼けるように痛む。
おそるおそる左の頬に触れると、ぷっくりと腫れていた。
ゆっくりと、目線を上に移す。目の前に、滝川の顔がある。
滝川は今にも泣きそうな顔をしていた。


「精華......俺の......俺のせい......俺のせいで......」


「!!」
その滝川の言葉を聞き、血相を変える森。

「違う!!違うの!!この傷はうちが勝手に転んだの!陽平は悪くないの!!!」

「あ......精華......」
その森の言葉が、さらに滝川の胸を締め付けた。もう、間違いない。

ああ......もう決定的だ。間違いない。俺が、俺が精華を......傷つけた。
精華はきっと俺を助けようとしてくれたのだろう。それなのに俺は......

「せ、精華......俺のせいで......」
滝川は顔面蒼白になりながら、ふらつきつつも立ち上がった。
怖くて、森の顔が見れなかった。
「精華......ごめ......」
森から数歩後ずさり、滝川は森に背を向けて走り出した。




暗い夜道をがむしゃらに走る。
頭の中で、自分に対する情けなさや怒りがごちゃ混ぜになってわけ分かんなくなってる。
「俺の馬鹿!!俺の馬鹿!!精華は......俺を助けようとしてくれたんだぞ!!それなのに......!!!」
さっきの森の言葉が蘇る。
(どう考えても俺がやったのに、精華は......俺のこと......悪くないって......)
泣きそうになったが、ぐっとこらえる。
そのまま、滝川は混乱する頭で自分のアパートへと駈けた。




「馬鹿......俺の馬鹿......何てことしたんだよ......」
布団の中でガタガタと震えながら、自分を責める。
頭がガンガンする。喉がズキズキする。目が冴えて眠れない。
「精華......俺の......俺のせいで......俺のせいで......」
脳裏に、森の顔に残る殴られた痕が蘇る。

赤く腫れた、痛々しい傷跡。

「う......!」
ぎゅっと目をつむる。
部屋の暗さが滝川の精神にさらに追い討ちをかけた。




窓からまばゆい朝の光が差し込む。
ちゅんちゅんと狭い部屋にスズメの鳴き声が響く。

「......ああ......もう朝か......」
ゆっくりと上半身を起こす。

喉がズキズキする。頭がガンガンする。
一睡もできなかったせいだろうか。
「精華......」
昨日自分が精華にしてしまった事を思い出す。
......自己嫌悪でおかしくなりそうだ。
「精華......」
しばらくそのままじっとしていたが、決意したように目を開く。
「学校......行かねえと......精華に、謝らないと......」

謝って済む問題じゃないのは分かってる。でも、謝らなきゃ。

滝川は暗い気持ちで朝の身支度を始めた。
パジャマから制服に着替え、トレードマークであるゴーグルを付ける。
「あとは......」
のろのろと、台所に向かう。
台所のテーブルの上には銀色に鈍く光る500円玉が置かれてあった。

「......行ってきます」

滝川は小声でそう呟き、テーブルの上に置かれてある500円玉をポケットに入れた。



「来てるわけ......ないよな......」
部屋の外に出て、部屋の横にあるポストに手を伸ばす。

いつも、精華は手作り弁当を毎日作って俺の部屋の横にあるポストに入れてくれてる。
でも、今日は......

滝川はごくりと唾を飲み込み、ポストを開けた。


「あ......」
ポストの中には、鮮やかな黄色いハンカチに包まれた手作りの弁当が入っていた。


「精華......」
胸がぎゅっと苦しくなる。泣きそうになったが何とかこらえる。

俺は、何て事をしてしまったんだろう。

「精華......ごめん......ごめんな......」
滝川は胸の痛みに必死に耐えながら弁当を鞄に入れた。




学校に行く道すがら、一度も森には会わなかった。
多分、先に行っているのだろう。
暗い気持ちで歩いていると、後ろから声を掛けられた。
「おはよう、一緒に行こう、滝川」
「......ああ、速水か......」
途中速水に掴まって一緒に学校へと向かう。
「......」
学校に行く道すがら、滝川は何も言わなかった。そんないつもと違う滝川を怪訝に思う速水。
「?......どうしたの?」
「ああ......ちょっと......」
「......?」
妙に歯切れの悪い滝川にきょとんとする速水。
「......何でもない。悪い、速水」
自分が森にしてしまった事を言おうかどうか迷ったが、結局言えなかった。
「......とにかく学校に行こう、滝川。遅刻しちゃうよ」
「おう......」
速水はそれ以上何も聞こうともせず、ただ黙って一緒に歩いてくれた。



いつもと同じように、HRが始まる。
本田が教壇に立ちながら一組の面々を見渡す。
「何だ、石津と加藤は休みか?まーいい、HR始めるぞ」
本田が淡々と連絡事項を述べていく。HRはすぐに終わった。

「よっし!HR終わり!授業だ授業!今日する奴はテストに出すからな!」
本田が英語の教科書を取り出し、チョークを黒板に走らせる。
授業の内容は全然耳に入らなかった。
ただ、早く精華に会って、謝らなければ。その事しか考えられなかった。



授業終了のチャイムが鳴る。
「よし!今日はここまで!」
その本田の声と同時に、一組の生徒ががたがたと席を立ち、教室の外へと移動していく。
(俺も、行かないと......あれ......)
視界がぐにゃりと曲がる。身体がうまく動かない。
滝川も席を立とうとしたが、立ちくらみを起こしてまた自分の席に座った。
(寒い......)
寒気も感じ、ぶるっと震える。頭も少し痛い。
「うう、早く......精華のとこに行かないといけないのに......」
滝川は頭をブルルと振り、何とか席を立って一組教室を後にした。



「......あ、いた」
プレハブ校舎二階から森の姿が見えた。
女子校の校舎裏に行こうとしている。売店に行くのだろう。
「......行かねえと......」
滝川は少しふらつきながらも階段を降り、校舎裏に向かった。





(今日、ごはん何にしようかな......)
森は頭の中でサンドイッチの味を思い浮かべた。
(うん、今日はサンドイッチにしよう......)
森は弁当持参組だが、今日は寝坊して滝川の弁当しか作れなかったのだ。
「......陽平、大丈夫かな......」
昨日の事を思い出す森。

昨日の真っ青な顔色の陽平を思い出す。......心配だ。

「心配だな.....痛たた」
左の頬がずきりと痛み、思わずさする。
森の左の頬には白いガーゼが貼られてあり、痛々しかった。
「早く行かないと売り切れちゃう......ん?」
聞き慣れた足音が後ろから聞こえ、森は振り向いた。
そこには、思い詰めた顔の滝川がいた。
「陽平......」




(早く、行かないと......精華.......)
森の後ろ姿が少しずつ近付く。
(きっと、怒ってるだろうな......)
謝らなければとは思うけど、会うのが怖い。きっと、嫌われた。
(もう精華は、笑ってくれないかもしれない。俺の顔なんか見たくもないかもしれない......でも)
意を決して話しかけようと口を開いた時、森が振り向いた。

その左頬には白いガーゼが当ててあり、痛々しかった。

「......」
それを見て、ぎゅうと胸が苦しくなる。俺のせいだ。
「陽平......どうしたの?」
「精華......」


滝川はその場に膝をつき、森に頭を下げた。
顔は青白く、少し震えている。
「ごめん......ごめん......ごめん......」


少しかすれた声で、何度も何度も森に謝る。
「精華、あん時俺を助けようとしてくれたんだよな?なのに、俺......ごめん......」
「......陽平......」
胸が、痛む。


陽平は、何も悪くない。なのに何故、陽平が謝らないといけないのだろう。


「ねえ、陽平......顔を上げて......」
「......?」
森は、切なげに目を細めた。
どうして陽平がこんな思いをしないといけないのだろう。

「陽平は......陽平は何も悪くない。なのにどうして陽平が謝らないといけないの?」

滝川は悲しげに頭を振った。
「精華......でも、俺、精華にあんな事しちまったのに......」
「何度でも言います......陽平は悪くないの!」
森のその言葉に、また胸がぎゅうと苦しくなる。


「精華......精華はさあ......優しすぎるよ......」
「優しいのは......優しすぎるのは......陽平の方っす......」


精華は、
陽平は、


あまりにも、優しすぎる。


「精華......俺......う......」
視界が白濁する。森の姿がぼやける。
滝川は強烈な目眩に襲われ、その場に崩れ落ちた。
「陽平!!!」
慌てて滝川を支える森。滝川の身体は......熱かった。
「すごい熱......」
滝川はがたがたと震えている。

「寒い......」

震えながら寒気を訴える滝川。
(陽平......こんなになってまで......うちの所に......)
「......きっと、風邪引いちゃったんですよ、一緒に詰め所に行きましょう」
「......ごめん.......精華......本当に......ごめん......」
「陽平......もういいから......とにかく、行こう。ね?」
「......うん......」
「立てる?陽平」
「ああ......だいじょーぶ......立てるから......」
滝川は何とか立とうとしたが、再び地面に膝をついた。
「......陽平、無理しないで......立ちくらみが酷いようなら、うちが支えますから」
そっと滝川に手を伸ばす。
「......ごめん」
滝川は申し訳なさそうな顔で森の手を取った。





整備員詰め所のベッドの手前まで滝川を支える。
「あ、精華.....もうだいじょうぶだから......」
「あ、うん」
そっと滝川を支えている手を離す。
滝川はゆっくりとベッドに横になった。
「風邪ですね......きっと。それに、疲れもあると思います。陽平、頑張ってるから」
「......げほ」
滝川は布団にくるまり、もうろうとする頭で森の言葉を聞いていた。
(精華、どうしてこんなに優しくしてくれるんだろ......俺、あんな酷い事しちゃったのに)
滝川の心境をよそに、森は何故かいつも身に付けている軍手をいそいそと外している。
「ちょっと熱測るから、ゴーグル外すね。じっとしててね」
(......え?)
森の手が滝川の額に向かって伸びていく。
手がゴーグルに触れる直前、滝川はビクッと震えた。
「?どうしたの?」
「あ、な、何でも......ない」
「?」
森は怪訝な顔で滝川のゴーグルをはぎ取った。

深く、古い傷跡が露になる。




(ああ、見られちゃったな......やっぱり、嫌われるかな......)
滝川は嫌われるんならそれならそれで仕方ないと思っていた。
嫌われるだけの事を俺は精華にしてしまったんだから。
ちらりと森を見ると、森は驚いたようで少し目を丸くしている。
「......へへ、やっぱ見苦しいよな......ごほ」
「陽平......そんなこと」
「けほ......いいんだ、無理しなくても」
顔を見ればすぐに分かる。いかにも驚いたという風な顔だ。
滝川はそっと目を閉じた。視界が黒く染まる。
(完全に、嫌われちゃったな......)
そのまま目を閉じていると、額に何か暖かい物が触れた。
思わずパチッと目を開ける。

「あ......精華......」
「やっぱり、熱が相当高いですね......今日はゆっくり休まないと」
森の手のひらが、滝川の額に乗せられている。
細かい切り傷や擦り傷がいっぱいあるけど、あったかいし、柔らかい。
(精華......受け入れて......受け入れてくれるんだ......嬉しい。でも......)
森の手のひらを心地よく......嬉しく感じるのと同時に、罪悪感も感じる滝川。
「精華......どうして......俺、あんな酷いことしちゃったのに......」
「あれは......何度も言うけど陽平は悪くありません」
「......でも」
尚も言い募ろうとする滝川の口を、森は人差し指で塞いだ。
「そりゃあうちだって、故意にやったってんなら3倍にして返しますけど......
陽平はただ、闇の中で自分を一生懸命守ろうとしただけ。だから......」
そっと、滝川の額を撫でる。
「だから......陽平は何一つ悪くないの」
森は滝川にむかってふわりと微笑んだ。滝川の頬が少し赤く染まる。
暖かく優しい森の言葉と表情に、視界が少し歪む。
「う......」
必死で、泣きそうになるのを我慢する。喉がズキリと痛んだ。

「もうだいじょうぶだからね......陽平」
再び滝川の額をそっとなでた後、立ち上がる。
「ちょっと待っててね、何かあったかいもの食堂兼調理場で作ってくるから」
「あ......」
滝川は、思わず森の服を掴んだ。......少しでも、傍にいて欲しかった。
「陽平......?」
「あ、ごめん......何でもない」
怪訝な森の表情に慌てて、森の服のすそから手を離す。
少し恥ずかしくてうつむいていると、頬に森の手が触れた。
「だいじょうぶ。すぐ戻ってくるから、待っててね」
うっすらと微笑みながらそれだけ言い、森は整備員詰め所から出ていった。



森が出ていってから、少し時間が経つ。
隣の食堂兼調理場から、かちゃかちゃと音が聞こえる。
(きっと、すぐに戻ってきてくれる......)
そっと自分の額の古く深い傷跡に触れる。
「暖かかったな......柔らかかったし」
もちろん、全然驚かなかったというわけではないだろう。恐怖心も多少なりともあったに違いない。
でも、何よりも、森が自分の傷跡に触れてくれたという事が滝川はたまらなく嬉しかった。
「精華......早く戻ってきてくれないかな......」
ごろんと寝返りをうつ。森の姿が、恋しかった。
何度かそれを繰り返すうちに、だんだんと眠たくなっていく。
今はあまり眠りたくなかったが結局睡魔には勝てず、滝川は目を閉じた。



お盆の上にスープの入ったマグカップを乗せ、バランスを保ちながら歩く。
(陽平、喜んでくれるかな......)
器用に整備員詰め所のドアを開け、森は滝川の元へと急いだ。


「陽平......寝てる」
滝川は、眠っていた。
気持ち良さそうに眠っていたが、突如滝川の顔が歪む。
何か、寝言を言っている。

「う......せ、精華、ごめん......ごめんな......」

滝川の閉じている目から一筋の涙が流れ、布団に小さな染みを作る。
「陽平......」
胸が、痛む。


この少年は、闇に苦しみ、過去に苦しみ......そして、私に対する罪の意識に苦しまなければならないのだ。
何一つ罪もなければ、悪い事もしていないのに。


「陽平......陽平、起きて」
「......ううん......あ、精華......」
森の姿を確認し、滝川の顔が輝く。が、すぐに森の左の頬に視線を移し、悲しげに目を伏せた。
(ああ......陽平には、そんな顔して欲しくないのに)
ベッドの脇においてある椅子に座り、ベッドの傍にある棚の上にお盆を置く。
「陽平、起きれる?」
「うん......何とか」
相変わらず寒気が酷いが、目眩はだいぶマシになったので上半身を起こすぐらいは出来るだろう。
ゆっくりと、上半身を起こす。
「......すげえいい匂いがする」
「お母さん直伝のスープなんです。......おいしいですよ」
そっと、滝川の膝の上にお盆を置く。マグカップから湯気が立ち昇っている。
中身は......細かく刻まれた玉ねぎと薄く切られたジャガイモのスープだ。おいしそう。
「......飲んでいい?」
「もちろんです。その為に作ったんだから......」
「い、いただきます......」
少し緊張しながら、マグカップを手に持つ。程よい熱さで、猫舌の滝川でも大丈夫そうだ。
ゆっくりと、玉ねぎとジャガイモのスープをすする。
芳醇な味が口の中に広がる。


そのスープは、滝川が今まで食べたどんな物よりも......おいしかった。


「うまい......すげえうまいよ......」
「ほんと?よかった......」
「うん......すっげえおいしい......」
一気にそのスープを飲み干し、残った具をお盆に置かれてあるスプーンですくって食べる。
森はそんな滝川を、満足そうに見つめていた。


空になったマグカップをそっとお盆の上に置く。
「すっげえうまかった......精華、ありがとう......」
「ううん......よかった......陽平が喜んでくれて」
その森の言葉に嬉しそうに笑うが、すぐに、悲しそうな顔になる滝川。
滝川の視線の先には、森の左の頬の白いガーゼ。
「陽平......」
滝川の視線の先にある物に気付き、そっと滝川の頬に触れる。
「陽平......もう、もういいのに......陽平には、そんな顔して欲しくないのに......笑って欲しいのに......」

もう、陽平にこんな顔させたくない。陽平を......助けたい。

「陽平......」
そっと、もう片方の手も滝川の頬に添える。
そのまま......自分の顔を滝川の顔へと近づけていく。
ふんわりとしたいい匂いが、滝川の鼻孔をくすぐる。
滝川は少しずつ近付いてくる森の顔に緊張しながらも、少しも動く事が出来なかった。


森は......自分の唇を、滝川の唇にそっと優しく重ね合わせた。


(あぁ......せい......か.......あったかい......)

森の唇は少し荒れていたけれど、とても柔らかくて暖かくて......優しかった。
本当なら......精華の唇から離れないといけないのに、精華にこんな優しい事をしてもらう資格なんてないのに......
離れる事が出来なかった。離れたくなかった。
重ねられた唇から、森の気持ちが伝わってくるような気がした。

「う......」
それまでずっと我慢してきたけれど、もう駄目だった。

滝川の瞳からぽろりと涙が溢れ、布団にぽたりと落ちて染みを作る。

自分の唇は相変わらず、森の唇に塞がれたまま。
森は唇を重ね合わせたまま、指で涙を拭き取ってくれた。
ゆっくりと時間をかけて、そっと唇を離していく森。
「ううっ......精華......せい......か......傍に......」
滝川は相変わらず、涙を流したまま。何度も涙を拭うけど、止まらない。
そっと人差し指の腹で滝川の涙を拭う森。

「ねえ、陽平......陽平はいつもうちのこと護ってくれる。だから今は......せめて今は、うちが陽平を......」

温かい手で、滝川の頬を包む。
森の全てが、滝川の心を溶かしていく。

(精華......あったかすぎるよ......)

森にすがりつきたい衝動に駆られるが、何とかこらえる。でも......
「精華......」
滝川は、森の服を強く握りしめた。


「精華......精華、助けて......」


うつむきながら、助けを乞う。
「うん......だいじょうぶ。今は、うちが陽平を護るから......」
森はそっと滝川の頬に口付けた後、再び滝川の唇を塞いだ。......自分の唇で。


何回、その行為を繰り返しただろうか。
どれぐらい長い時間、繰り返しただろうか。
長いようにも感じたし、短いようにも思えた。



二人はその行為を止め、手を繋いだままじっとしていた。
あまりしゃべらなかったけれど、不思議と息苦しさや気まずさは感じなかった。
外が、暗くなっていく。プレハブに灯りが灯る。


「夜に......なりましたね」
「うん......ふわぁ」
盛大なあくびをする滝川。目元がぼんやりする。
「......眠いの?陽平」
「......うん。でも......」
「でも?」
「眠るのが......少し、怖くて......」
今眠ってしまったら悪夢を見てしまうかもしれなくて、怖かった。
「......陽平が眠るまでうちが手を握ってるから、傍にいるから......大丈夫」
「......うん。ありがとう......なあ、精華って手暖かいよな......すごく」
「......そうなんです。お母さんやお父さんは冷え性なんだけど、うちは違うみたい」
「......なんか、安心する......本当にありがとうな、精華......」
そっと握られた森の手を自分の頬に持っていく。暖かくて気持ちいい。
滝川は、森の手を自分の頬に添えたまま目を閉じた。

明日は......明日の朝だけは、
心細さに震え、冷や汗にまみれて跳ね起きる事は絶対無い。
精華が傍にいてくれる。それだけで......

「おやすみ、陽平」
森は、そっと手を離した。






スズメの鳴き声がプレハブに響く。
窓から朝日が差し込む。
「ううん......ふわあ」
布団にくるまりながら、あくびをする。
何だか、目が痛い。昨日盛大に泣いてしまったせいだろうか。
傍らを見ると、森がベッドに突っ伏して眠っていた。
「精華.....精華、起きて」
森を揺さぶり、起こす。
「むにゃ......おはよ、陽平」
森は起きるなり、滝川の額に手を当てた。
「もう、熱はないみたいですね......よかった」
「あ、ううん......精華......なあ、その......あの......」
何やらもじもじしながら頬をぽりぽりと掻いている滝川。
少し、頬が赤く染まっている。
「?」
きょとんとしながら、滝川の言葉を待つ。どうしたのだろう。


「その......き、昨日はありがとうな......」
滝川は、照れくさそうに笑った。

......ああ、この顔がずっと見たかったんだ。

「やっと、笑ってくれたね......陽平」
森も、滝川の笑顔が見れた事が嬉しくて、微笑む。
二人は、そっと手を握った。そのまま、時間が経つ。



そのまま黙ってじっとしていたが、滝川が口を開く。
「なあ、精華......やっぱり俺......精華に償いたい。......あんな事しちゃったんだからさ」
「......どうしても?」
「うん」
滝川の目は、どこまでも真っ直ぐだった。
「じゃあ......一つ、約束して欲しい事があるの」
「......何?」


「いつも......どんな所に行っても、必ずうちのところに生きて戻ってきて下さい......お願い......」


(い、言えた......)
かねてから滝川に言いたかったことを言えて、少しスッキリした。

いつも、出撃命令がかかる度に森は気が気ではなくなる。
だから、約束して欲しかった。
償いとしてこんな事をお願いするなんておかしいということは分かっている。
無理難題だという事も百も承知している。でも、それでも......どうしても約束して欲しかった。

「それで、いいの?」
「うん......約束してくれる?」
滝川は、森の肩を優しく掴んだ。


「精華......分かった。絶対に、どんな所に行っても必ず生きて戻ってくる。約束する」


紫色の瞳が、森を写す。
その滝川の言葉は、どこまでも真剣だった。
「......陽平......嬉しい......」
「......へへ......そろそろ行こう、精華」
「うん......」
二人はそっと起き上がり、手を繋いで整備員詰め所を出ていった。




俺は......どんな所へ行って、どんな戦いをしても、必ず戻ってこよう。
精華のところに......必ず。






<あとがき>
話的には小説部屋の「子守唄」の逆バージョンです
お題目がお題目なので仕方ないかもしれませんが...お、重い...
めちゃめちゃ重い上に長い話になっちまいました...
しかも滝森というよりは森滝風味に...ホントすいません




戻る



SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送